紀州どんなとこ?のカテゴリ記事一覧

カテゴリ:紀州どんなとこ?

紀州どんなとこ?のカテゴリ記事一覧。昔、明光通りの一角に和歌浦口売店がありました。その息子(今はじじ!)の紀州<和歌山>四方山話と還暦過ぎて始めた「もしもドロップショッピング」のぐうたらな噺です。
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紀州どんなとこ?
紀伊の国はまた、長い海岸線を有するがゆえに、古くから造船や操船の技術に優れ、大陸からの文化を受容するなど海の道を通じて交流してきた。豊臣秀吉が紀州を平定した意味は、単に大坂に近い足元を固めたというだけでなく、紀州の豊富な木材と、造船能力、操船技術を持つ人員の確保など、物資の輸送力と海上戦略を掌握するということにあったといえよう。その結果として、紀州を制圧した後に直ちに四国の長宗我部氏を攻撃して平定...

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今日は、紀ノ川の話をします。紀ノ川は、奈良県の大台ケ原を源として約136キロメートルを流れて紀伊水道に注ぎ、奈良県内では吉野川、和歌山県内では紀ノ川と呼ばれている。寛永8年(16319に紀州藩は積み荷や旅客が大和に直行することを禁じ、橋本町(原橋本市)舟改番所を設けて直行便を取り締まった。そのため、上り荷は橋本で荷揚げして陸路で五条(奈良県)方面に運び、逆に吉野川の下り荷は五条で荷揚げし、橋本で舟...

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紀伊の国は、紀伊半島の西部から南東部の海岸にかけて半島の中心部を囲むような形をしている。その中心部に位置する紀伊山地は、東西の山脈と南北の山脈が合わさった山地で、これらの山々をぬって紀ノ川、有田川、日高川が西に、富田川、古座川、熊野川が南に向かって流れている。県域は大きく紀北・紀中・紀南の三地域に分けられ、  紀北:紀ノ川・有田川流域  紀中:日高川・南部川流域  紀南:田辺以南のむろ地域紀伊の国...

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紀伊の国(木の国・川の国・海の国)その3

紀伊の国はまた、長い海岸線を有するがゆえに、古くから造船や操船の技術に優れ、大陸からの文化を受容するなど海の道を通じて交流してきた。

豊臣秀吉が紀州を平定した意味は、単に大坂に近い足元を固めたというだけでなく、紀州の豊富な木材と、造船能力、操船技術を持つ人員の確保など、
物資の輸送力と海上戦略を掌握するということにあったといえよう。

その結果として、紀州を制圧した後に直ちに四国の長宗我部氏を攻撃して平定し、2年後には九州に軍を進めて島津氏を降伏させ、更にその3年後には小田原の北条氏を滅ぼし、その勢いで東北の伊達氏なども抑えて全国制覇を成し遂げたのである。
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紀伊の国(木の国・川の国・海の国)その2

今日は、紀ノ川の話をします。

紀ノ川は、奈良県の大台ケ原を源として約136キロメートルを流れて紀伊水道に注ぎ、
奈良県内では吉野川、和歌山県内では紀ノ川と呼ばれている。

寛永8年(16319に紀州藩は積み荷や旅客が大和に直行することを禁じ、橋本町(原橋本市)舟改番所を設けて直行便を取り締まった。
そのため、上り荷は橋本で荷揚げして陸路で五条(奈良県)方面に運び、逆に吉野川の下り荷は五条で荷揚げし、橋本で舟に積み込んだ。
これにより、橋本町は物資の集散拠点として繁栄した。

橋本周辺に籍を置く30石積みの船を「川上船」といい、江戸時代には40~60艘の船が運航し、
和歌山から塩・肥料・青物などを、吉野川流域から杉板・樽材・実綿・大豆などを運び、また旅客も運んだとのこと。
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紀伊の国(木の国・川の国・海の国)その1

紀伊の国は、紀伊半島の西部から南東部の海岸にかけて半島の中心部を囲むような形をしている。

その中心部に位置する紀伊山地は、東西の山脈と南北の山脈が合わさった山地で、
これらの山々をぬって紀ノ川、有田川、日高川が西に、富田川、古座川、熊野川が南に向かって流れている。

県域は大きく紀北・紀中・紀南の三地域に分けられ、

  紀北:紀ノ川・有田川流域

  紀中:日高川・南部川流域

  紀南:田辺以南のむろ地域

紀伊の国は、木の国と称されるように、国内の大部分が山林で占められ、山林資源の宝庫である。

山地で伐採された木材は、筏に組まれて、紀ノ川、日高川、熊野川などを利用して河口に集積され、各地に出荷された。


・豊臣秀吉は、大阪城や方広寺大仏殿の建築用材として熊野の木材を切り出させた。
・徳川家康も、江戸城修復に際して慶長九年(1604)に石材を運ぶ船を
 紀州藩主 浅野幸長に命じて造らせ、翌年には木材をも江戸に運ばせている。
・伊達政宗も、松島のズイガン寺を再建するための用材を熊野に求めている。

このように豊富な建築用木材とは別に、山々に自生しているウバメガシやカシを炭窯で焼いて作る
「熊野炭」と呼ばれる木炭は、熊野川を下って新宮まで運ばれて出荷され、江戸でも有名であった。

また、田辺で焼かれた備長炭(白炭)も、ウバメガシを高温で焼いて作られ、硬さと品質の良さ、抜群の燃焼力で好評を得た。
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