紀州人のカテゴリ記事一覧

カテゴリ:紀州人

紀州人のカテゴリ記事一覧。昔、明光通りの一角に和歌浦口売店がありました。その息子(今はじじ!)の紀州<和歌山>四方山話と還暦過ぎて始めた「もしもドロップショッピング」のぐうたらな噺です。
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 「5年後、生きている確率は10%あるかないか。骨髄移植が成功しても20〜30%」。25歳の時に白血病を患い、医師から重い宣告を受けた上前喜彦さん(43)は、生まれ育った有田川町で無添加食品販売業を営む傍ら、生死の境をさまよった経験や病気から学んだことを、小中学校や地域の会合などで講演する。「病気の前と後で考え方が変わった。病気は不幸なことではない。そこから何を感じるか」。大病の向こう側にたどり着いた今、思...

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 肺ガンになった夫の最期を自宅で看取った海南市の岩崎順子さん(53)は、家族で支え合い、命そのものと対話してきたその時の経験をもとに全国で講演を重ねる。回数は660回を超え、近年、認知症や子どもの生きる力、紀南水害の被災地との関わりと内容は広がるが、聞く人が自らの命を新しい気持ちで生き始めてほしい、との願いを常に込める。「生きるのが下手な私だから話せることがあると思います。みなさんの次の一歩につながれ...

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 2010年は有間皇子、11、12年は小栗判官、そして今年は井澤弥惣兵衛。和歌山、特に海南に関連のある歴史上あるいは伝説の人物を若い世代に伝えようと、ミュージカルで発信するのが劇団KCM(海南市民ミュージカル)だ。 脚本を書くのは、歴史の語り部としても活動する東道(あずまみち)代表(72)。「『地元に住んでいながら、作品を見て初めて知った人物でした』と話す人は多い。取り上げる人物は違っても、〝人はいかに生き...

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 田辺市龍神村にアトリエを構えるデザイナー、溝端秀章さん(61)は人間の自己中心主義を許さない。企業のイメージ戦略や高野町の景観保全とまちづくりに力を貸すなど幅広く活動する中、今、力を入れるのが動物をかたどる新聞紙アートだ。溝端さんの手にかかると、新聞紙がキツネ、ハト、ヘビと化し、今にも動き出しそうになる。 子ども向けの講座は特に人気で、「動物を追い込む人間は偉くない。自然、動物と命の循環を感じてほ...

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 一面に広がる菜の花畑や、紅葉を始めた鮮やかな山々、青からオレンジに色を変える空…。 和歌山市の写真家、徳田直季さん(53)が切り取る景色には、故郷への愛情が色濃くにじむ。写真を通じて和歌山の魅力を見つけてもらおうと撮影会や教室を開き、教えた生徒は700人を超えた。「『和歌山が好き、みんなはどう?』、初めは照れくさかったけれど、そんな気持ちで写真を撮っています。『私も好き』『いいとこあるわな』、共感の...

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白血病を乗り越えて

 「5年後、生きている確率は10%あるかないか。骨髄移植が成功しても20〜30%」。25歳の時に白血病を患い、医師から重い宣告を受けた上前喜彦さん(43)は、生まれ育った有田川町で無添加食品販売業を営む傍ら、生死の境をさまよった経験や病気から学んだことを、小中学校や地域の会合などで講演する。「病気の前と後で考え方が変わった。病気は不幸なことではない。そこから何を感じるか」。大病の向こう側にたどり着いた今、思うことを自然体で伝える。
 
病気からのメッセージ

 結婚し、子どもが誕生した25歳の時だった。朝起きづらく、微熱があり、体がだるい。そんな状態が数ヵ月続いた。ある日、実家でみかんの収穫を手伝っている最中、節々の痛みに襲われた。血液検査で異常はなかったが、骨髄液の検査を受けると即入院と告げられた。白血病だった。

 抗がん剤治療が始まった。治療の度に高熱が出る。口の中全体に口内炎ができ、つばを飲み込むだけで脳まで響くほどの痛さに襲われた。そんな苦しい治療を半年で5回受けた。血液中のがん細胞をある程度まで減らした後、骨髄移植へ。幸い、妹の白血球の型が一致した。1年の入院生活、4ヵ月の自宅療養後、がん細胞は消えた。

 再発させないため、主治医に発病の原因を聞いた。「事故に遭ったようなものと思ってほしい」と言われたが、納得できない。しかし、ぼんやり感じていたことがあった。病気からのメッセージだ。

 それまでは自由に生きていた。「入院中も痛い治療には痛い、まずい薬はまずいとはっきり言った。わがままだった。病院のブラックリストに載っていたと思います」。そんな自分を方向転換してくれるための病気だと考えた。

 「同じ生き方を続ければ再発する」。変えたのは難しいことではない。目の前の人の気分が良くなる表情をする、にこやかにあいさつする、頼まれたことを素直にする──。重ねた100回以上の講演では、病気に教わったことを素直に語る。「白血病のおかげでいろんなことを知った。優しくなれたし、いろんな人に出会えた」。話の間にピアノの弾き語りで『イマジン』『見上げてごらん夜の星を』などを披露する独自のスタイルだ。

 「すごい苦労を乗り越えて…と思われると違うんです」と笑う。「苦しいものに立ち向かった感覚ではない。それより新しい価値に出合えた喜びが勝ったんです」。講演は闘病中のことにもふれるが、決して重くない。自然体のたたずまいそのものがメッセージなのかもしれない。
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新しく一歩踏み出す力に

 肺ガンになった夫の最期を自宅で看取った海南市の岩崎順子さん(53)は、家族で支え合い、命そのものと対話してきたその時の経験をもとに全国で講演を重ねる。回数は660回を超え、近年、認知症や子どもの生きる力、紀南水害の被災地との関わりと内容は広がるが、聞く人が自らの命を新しい気持ちで生き始めてほしい、との願いを常に込める。「生きるのが下手な私だから話せることがあると思います。みなさんの次の一歩につながれば」
 
痛み悲しみ、もう一つの面を

 肺ガンと分かった夫の圭介さんは抗ガン剤を使わず、自宅での生活を選んだ。夫の衰弱は進み、行き場のない状況の中、前向きに生きたが、1995年秋、夫は旅立った。

 「よく頑張ったね、とさわってあげて」。シクシクと泣く3人の子どもを呼び、父に触れさせた。手や額に触れ、「つめたい」と子どもたち。そのうち、お腹だけが温かいのに気付いた。「おなか、ぬくいよう」と言う子どもの声に自然に言葉が出た。「お父さんの上で遊びなあ」。その声で3人は泣き笑いしながら、父の上に馬乗りになり、横に寝転び遊んだ。悲しみが形を変えていくのを感じた。

 数年後、紀の川市の「生と死を語る会」で、この時の経験を話した。ある人が講演を記録し、冊子『ガンが病気じゃなくなったとき』にまとめた。注目を集め、発行は7000部を超え、2005年には書籍として出版。講演に招かれる機会が増えた。奈良の東大寺で自らの経験を語り、全国から声がかかり始めた。

 最近は、水害で大きな被害を受けた那智勝浦町の市野々小学校へ、東日本大震災で被災した石巻市の仮設住宅に暮らす人たちが集めてくれた募金を届けた経験を伝える。募金箱には石巻の小学生の手紙があった。「みなさん、学校が使えなくなり悲しいと思います。私は悲しかった。そのため募金します」。悲しいから、辛いから何かしてくれ、ではなく、だからこそ相手を思いやる。その心にうたれた。「痛みを知る人は人の心に寄り添える。やさしさは悲しみから生まれます」。人が避けたがる痛み、悲しみのもう一つの面を照らす。

 講演では原稿を用意せず、締めの言葉も決めない。「その場でみなさんのお顔を見て自然に出る言葉を選びます」。最後に小さい鉄琴を奏で、この世であと4分だけ母親と話すのを許されたらと想定し、来場者に心で母親と言葉を交わしてもらう。それぞれが命と向き合う瞬間をつくる。

 「心に残ったことを育んでほしい」。小さくてもいい。「新しいことを始めました」。講演を聞いた人からのそんな知らせが最高にうれしい。
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地元の歴史 ミュージカルに

 2010年は有間皇子、11、12年は小栗判官、そして今年は井澤弥惣兵衛。和歌山、特に海南に関連のある歴史上あるいは伝説の人物を若い世代に伝えようと、ミュージカルで発信するのが劇団KCM(海南市民ミュージカル)だ。

脚本を書くのは、歴史の語り部としても活動する東道(あずまみち)代表(72)。「『地元に住んでいながら、作品を見て初めて知った人物でした』と話す人は多い。取り上げる人物は違っても、〝人はいかに生きるべきか〟と込める思いは共通です」
 
平和、命、そして愛

 1980年代、海南市と和歌山市で郷土紙や季刊誌の編集、発行を行った。その季刊誌に県内の観光地と歴史を紹介するコーナーがあった。取材を進めるうち、和歌山の歴史の奥深さに魅了された。94年から15年間、近畿全域の歴史をめぐる教室で講師をし、今も熊野・高野国際語り部の会代表を務め、毎月1回、会員と熊野古道を歩く。

 一方、元々は〝見る派〟だったミュージカルに2001年、本格的に携わった。高齢者の生きがいや居場所づくりに取り組むアリスの会を立ち上げ、自ら脚本を担当し、『有間皇子』を公演した。謀反の罪を着せられ、藤白坂で処刑された有間を描いた舞台は、昼と夜の公演で計800人を動員。ミュージカルが持つ伝える力の大きさを肌で感じた。

 『有間皇子』は07年に発足させたきのくにミュージカルでも3年連続で公演。KCM初年度の10年にも行った。翌年からは5大説教節の一つで熊野古道にまつわる小栗判官を取り上げた。そして11月24日(日)に海南市民交流センターで開く公演でスポットを当てるのが紀州土木工法の始祖、井澤弥惣兵衛だ。

 民が犠牲になるのを避けるため、戦ではなく自らの死を選んだ有間。死の淵にありながら、現世に帰ってきた小栗。飢きんで餓死する者が増える中、農地と水路の開拓に尽力した井澤。「生き様は違うが、自分の命を最後まで燃やした点は同じなんです」と語る。

 『有間皇子』に出演した高校生が公演後にもらした「自分のような役に立たない人間が生きていていいのかと思っていた。でも、生きていて良かった」──。この言葉が今も忘れられない。「特に若い頃は、生きる目的や意味が分からなくなることがある。私が作品に込めるのは平和、命、そして愛のメッセージ。人生で迷ったときに、私たちのミュージカルを思い出してほしい」。先人の命の輝きが道標になればと願う。
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人間の〝ジコチュー〟許さない

 田辺市龍神村にアトリエを構えるデザイナー、溝端秀章さん(61)は人間の自己中心主義を許さない。企業のイメージ戦略や高野町の景観保全とまちづくりに力を貸すなど幅広く活動する中、今、力を入れるのが動物をかたどる新聞紙アートだ。溝端さんの手にかかると、新聞紙がキツネ、ハト、ヘビと化し、今にも動き出しそうになる。

子ども向けの講座は特に人気で、「動物を追い込む人間は偉くない。自然、動物と命の循環を感じてほしい」と願う。
 
声なき声 指先に込め

 若いころ憧れたのは「I ♥ NY」のロゴなど手がけたミルトン・グレイザー。デザイナーを志し、東京の専門学校桑沢デザイン研究所で学んだ。卒業後は出版社の外部デザイナーとして多忙を極めたが、30代を前に家の事情で和歌山へUターンした。

 和歌山でも精力的に動き、企業のロゴの制作、専門の「視覚伝達のシステムとデザイン」を生かしたまちづくりの仕事…と「5足のわらじだった」と笑う。こんな中、仲間6人で「わかやま絵本の会」を設立し、絵本『ツキノワグマ太郎』のための取材を始めた。クマは人間との接触を避けようと注意して行動しているのに、ただ「恐い」と考える世間の誤解。環境破壊に押し出されエサを求め人里に現れ、殺される矛盾。紀伊半島のツキノワグマを通し野生動物の危機を知り、専門家と激論を交わし、行政へ保護を訴えた。仲間の一人が山に食物を置きに行く活動を始め、「自分は仕事の中で動物保護を訴える」と誓った。

 野生動物の新聞紙アートはふと生まれた。10数年前、娘の小学校の夏祭り。お化け屋敷作りを手伝い、余った新聞紙でカラスを作ると、周囲はその生命感に目を見開いた。その後、NPOの催しで初めて講座の依頼があった。針金のハンガーで芯を作り、丸めた新聞紙で包み、ヘビを作る。子どもに受け、2回の予定の講座が7回にも及んだ。

 昨年は和歌山市内の小学校を回り、ハトなどを子どもと作った。「身近なものから創造力を働かせ仕上げるのがいい所。無心に作る子どもたちの作品にはかなわないよ」

 ニホンアシカ、イルカと大作も手がけ、「人間は同じ惑星にすむ動物の幸せを守れない。生物界のトップなんかじゃない」と思いを込める。

 絶滅したニホンオオカミやニホンカワウソ、みなべ町の住民が守り続けるアカウミガメを作品にするのがライフワークだ。「保護に努める人を応援したいね」。指先に込めるのは動物の声なき声だ。
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故郷が好き、あなたは?

 一面に広がる菜の花畑や、紅葉を始めた鮮やかな山々、青からオレンジに色を変える空…。

和歌山市の写真家、徳田直季さん(53)が切り取る景色には、故郷への愛情が色濃くにじむ。写真を通じて和歌山の魅力を見つけてもらおうと撮影会や教室を開き、教えた生徒は700人を超えた。「『和歌山が好き、みんなはどう?』、初めは照れくさかったけれど、そんな気持ちで写真を撮っています。『私も好き』『いいとこあるわな』、共感の声がうれしいですね」

いつも〝場の力〟を借りて

 田舎を嫌い都会へ飛び出し、写真週刊誌のカメラマンとして全国を駆け回った20代。忙しさと周囲との実力の差に打ちひしがれ、30歳を前に和歌山に戻った。ある時、友人に誘われ県内をドライブすると、今まで気づかなかった自然の美しさが飛び込んできた。「『いい所やなぁ』と感動した。故郷は傷ついて戻ってきた自分を受け入れてくれる」。嫌いだった和歌山に、気づけば助けられていた。

 その後、2000年に路上や駅前で写真を並べる青空ギャラリーを始め、ワークショップや写真教室、地元タウン誌での連載と、活動の裾野を広げた。写真に詩のような短い言葉を添えた作品が話題となり、今では代表的な作風として知られる。

 カメラを向けるのは、「朝起きて窓を開けたときに見たい景色」。一目で和歌山と分かるような名所よりも、素朴な田舎風景に魅力を感じる。「例えば橋杭岩やあらぎ島などは、上手な人に任せればいいかな、と。きれいなものより、自分に関係あるものを撮る。生徒にも『わざわざ遠出しなくてもいい。家の周りから始めよう』と言っています」

 そして先月、完成したのが「2012年の夏」「2012年のお気に入り」をテーマに、生徒100人が撮った作品を収めた「ふるさとフォトブック」だ。せみの抜け殻や蚊取り線香の煙、庭先の花など、奇をてらわない日常が残った。図書館に置いてもらう計画で、今後も毎年発行し、「将来見た人が『これ、うちのおばあちゃんやん』なんてなることもあるかも」と期待は膨らむ。

 11月30日(土)〜12月8日(日)には、和歌の浦アートキューブで写真家生活を振り返る個展が控える。また、来春開催をめざすのが「写真のない写真展」。野外でおすすめのアングルから生の景色を味わってもらう試みだ。「和歌山が元気にならないと、写真も元気にならない。少し背伸びしながら、和歌山の〝場の力〟を借りて色んなことを皆で楽しみたい」
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